長岡の進学塾、個別指導

コア進学塾


    “コア”って何?

         ー 私が一番大切にしていること

 


 特に英語を勉強していて、私がいつも不思議に思ってきたのは、文法でも熟語でも、「結論」だけがあって、なぜか「理由」がないということです。


 たとえば「put off]は、ふつう「延期する」とか「脱ぐ」とかいう意味の熟語だと習います。 しかしなぜ「put off]がその意味になるのか、2つの意味はどういう関係にあるのか、これだけでは一向にわかりません。


 それでも熟語というのは、普通の意味から出てこない意味になるのが熟語なのだから、そのまま覚えるしかない、と一般には考えられているようです。 「熟語」といえば、それ以上考えなくていい、おまじないのようです。


 しかし、はたしてそうでしょうか?


 人間は必要があって言葉を作ったのです。 ですから、その言葉が偶然や気まぐれで、たまたまそういう意味になった (そうであれば確かに理由なんてないことになる) なんてことがあるでしょうか。 必ずそうなってきた理由や必然があるはずです。 だとすれば、なぜそういう形・意味になったかを考えれば、その理由が、全てとは言わないまでもある程度はわかるはずです。


 たとえば「put off]は、それぞれの大元の意味(コア)から考えれば、「put」は「置く」、「off」は「離して」が本質(コア)ですから、「put off」は、「離して(off)、置く(put)」 が本質(コア)ということになります。 したがって、「put off the meeting」なら「会議を離して置く」→「会議を延期する」となるし、「put off my hat」なら「私の帽子を離して置く」→「帽子を脱ぐ」になるわけです。


    【注】 「off」は前置詞ではなく副詞ですから、本来は「put the meeting off」・「put my hat off」が本来の語順(つまり(S)VOCの第五文型)となります。  詳細は入塾後に。


 これで、この「put off]がなぜこういう意味になるのかや、2つの意味のつながりも、判明します ( さらにいえば、わざわざ熟語と考えなくても、意味がとれることもわかります )。 さらに「put off」は他にも意味がたくさんありますが、それらの意味の多くも、慣れれば、辞書に頼らずに、「コア」と「文脈」だけを手掛かりに、自分でその意味を推測できるようになります。

 
このことは実は熟語だけでなく、普通の「単語」でも同様のことが言える ( 辞書に書かれてあるたくさんの意味も、この「コア」と「文脈」の二つを手掛かりに大体の意味を類推することができる ) ことがわかります。



 このように、「なぜそうなっているのか」の、コアとのつながり(共通項)がわかるだけでも、勉強は、「暗記型」から「理解型」・「応用型」へ(つまり自分で考えることができる勉強へ)と、質的に変化するのです。


 「put off」が、ただ単にいきなり「延期する」・「脱ぐ」では、「?」となって当然です。 今の日本の英語教育の多くは、結論だけがあって、一番大切な「なぜそうなるのか」の 理由・本質部分(コア)が欠けています。 ですから英語は多くの場合、「何故か知らないが、そうなる」 という、結論だけを覚えるしかない、苦痛な暗記科目になってしまっているのです。 


 ネイティブは、「感覚」があるから、必ずしも「理由」はいりません。 ほとんどのネイティブは、理由など知らずにしゃべっていて、それで何の不自由もありません(日本人が日本語をしゃべるときそうであるように)。 それに対して、英語に対して外国人である日本人は、その「感覚」がないからこそ、どうしても「理由」(コア)が必要になる。  なぜならそうでないと、「感覚」と「理由」のどちらの裏付けもない、ただの「丸暗記」しか残らなくなるからです(それが今の英語教育の実態です)。


 もちろん私も暗記を否定するものではありません。 暗記さえしておけばある程度なんとかなるのも事実です(ほとんどの受験生はそれで合格できる)し、進んでそれが受験という現実の前で、好むと好むまざるとにかかわらず、結果を左右する大きなウエイトを占めていることを、誰も否定することはできません。 こういう私も、試験直前には、生徒に暗記を強いている自分に気づくことがあります。


 しかし、この理由や理解を伴わない、暗記や知識に頼った勉強ばかりしていると、知識は際限がないし、自分で考えることもできず、応用も利かず、いつまでたっても自信がつきません。
 


こうした暗記中心の教え方が、生徒をどれだけ英語(ひいては勉強一般)を嫌いにさせていることか。人間の自然な脳の働き(なぜそうなるのか?)を、こうした教育が無視・阻害しているのと同じなのですから当然ともいえます。


 これに対して、なぜかを考え、コアを見つけて、そのつながり(共通項・論理)がわかれば、本当にわかったという実感が持てるし、それを使って、応用問題も自分の頭で自由に考えることができるようになり、自然に勉強が楽しくなるし、自分に自信が持てるようになります。


 難関校ほど、表面的な知識より、こうした本質(コア)を踏まえた論理的思考力を結局は問うているのであり、 いろんな問題も、それを、あれこれ形を変えて問うているにすぎません。


ですからこれが、当面の受験に直結しているのはもちろん 、社会に出てからも役立つ本当の学力  ( “生きる力”? )だと信じる立場から、私は生徒さんを指導していきたいと考えています。


 こうして私が「コア」という言葉で表そうとしているのは、「なぜそうなるのかの理由」・「事柄の中核となる本質」・「言葉の根本イメージ(語源)」 といったようなことになります。


 このことが勉強や学問にとって、私は大変重要で、一番大切だと考えています。 そこで、私の考えや指導の出発点であり基本となる大切な言葉として、この「コア」という言葉を、塾名にさせてもらっています。


 その具体的な適用を、授業の中で生徒皆さんに納得してもらえる形で、一つ一つていねいに実践していきたいと考えています。 


勉強は、従来の暗記中心から、「本当にわかった」 と思える 地に足のついた理解型へと、質的に変化することが実感できるはずです。 そしてそれが未来のある皆さんの勉強や学問への意欲・喜びにもつながるはずだと確信しています。